みかんとつめきり

気の向くまま雑記

『シン・ゴジラ』と‟いま”の話

 

f:id:zombie-zoo:20160731002913j:plain

 

おはようございます。バイトのおちんぎんが入っていたのでひとり自転車をこぎ

街へ繰り出しました。

 

ハンバーガーにがぶりついたりコーヒー飲んだりポケモン探したり、まぁこれらはついでで、主目的は『シン・ゴジラ』を観ることでした。

んで実際に観てきました。

 

いつの間にか仙台駅前に新しくTOHOシネマズが出来ていて、IMAX上映もしているとのことだったのでいい機会だと思ったわけです。

 

僕自身のゴジラシリーズの思い出としては『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ』を幼稚園のころにビデオでやたら観てた程度のもので、特に思い入れも無くありきたりな経験です。

 

なのでまぁ、屈指の特撮オタクと名高いエヴァ庵野監督が作った新しいゴジラと言われても

「新エヴァあくしろよ」

ぐらいにしか思わずスルーする算段だったのですが。

 

公開されて後ツイッターのトレンドに上がっていたのでちらっと呟きを概観すると既視感を覚えたのです。

 

そう、これは「ガルパンはいいぞ。」の流れだと。

 

多くは語れないが多くの感情を内包した「いいぞ」の魔力に後押しされるのは決して恥ではないと思い込みつつ席を取った私です。

 

 

あ、ネタバレ含むので駄目な方は読まないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ゴジラを代表するあらゆる‟怪獣モノ”に関して、重要な要素の一つは「人間たちの奮闘ぶり」です。

今作ではゴジラに対抗するいくつものリアリティが非常に納得のいくものだと、少なくとも僕は感じました。

 

まず、ゴジラという「災害に対するリアリティ」。

これは東日本大震災を初めとする昨今の大災害を経験した今の日本人が実際に当事者として、またテレビなどの情報を通しての大前提があって成り立つものでしょう。

 

ゴジラ出現からの一連の問題に対する政府の対応の仕方。例えばどういう流れで対策本部が設置されて、どう措置が決定されて、どう国民に情報を与えるのか。

現実はより煩雑としていて簡単に説明できるようなものではないのでしょうが、その辺りの‟リアリティ”は有無を言わさないものと終始感じられました。

 

フィクション作品のリアリティ≠現実の法則、ということは小説やアニメ、漫画などを楽しむ人には当然周知と思います。

 

「もし巨大怪獣が突然現れて建物や人々を潰していったら」という妄想の‟現実”にどう立ち向かうか。

震災や原子力関係の困難に直面した‟いま”の日本人はどうするのか。

そのリアリティが庵野監督のもと、答えとして腑に落ちる形で描かれていたのではないでしょうか。

 

 

 

少し脱線しますが、そのリアリティを限られた尺の中で描写するその手法に庵野監督らしさ、いわばエヴァの呪縛に未だ囚われている私のような糞ファンの口角が思わず上がるものがあります。

 

どんどん出てくる白い明朝体の紹介文、小難しい単語まみれの会話シーン、セリフなし音なしでパパッと流れていく街や一般人のカット、などなど……

 

えーっと、最強の拒絶タイプ(この言い回しすき)ゼルエルを食い止めようと零号機がN2爆雷抱えて特攻するヤツありますよね。

あのATフィールドを突破してコアに届く一歩手前に防壁閉じられて「あ……」ってなる一連のアレが好きな人は絶対楽しめます。

 

 

要するに今回のゴジラは第14使徒です。

 

デデドン!

 

 

 

巨神兵東京襲来のアレは一発でどうしようもなくて絶望でしたけど

今回のゴジラは徐々に「え、これ不味くない…?」となって「冗談はよしてくれ(涙目)」となる絶望具合で、個人的に巨神兵より怖かったです……

 

今作で初めてゴジラが熱線を吐く場面は怖すぎて目ん玉ひんむいて観てました。

 

熱線を出す怪獣のリアリティってこれだな、と納得できる描写でもあり。

 

おそらく、震災と放射能問題を経験している今の我々だからこそ許容できるリアリティだと思います。

庵野監督なりの‟いま”を生きる日本人へのメッセージが込められた、熱を感じる映画です。

 

 

 

そんなこんなで次に僕が圧倒されたのは「ゴジラそのもの」です。

 

今回ゴジラは海から現れて川を遡上、上陸の流れの中で段階的に進化成長していくのですが、上陸して初めて首から上を見せたインパクトと言ったらなかったです。

 

深海魚のようなギョロッとした濁った目にエラのような器官。エラから自身の血液をドバッと排出しながら車や建物を巻き込み歩く様は生理的恐怖を覚えました。

要するに原子炉の冷却水の代替として血を排出してるんですけど生物としてこういうことされるとやばい。とにかくキモイ。

 

そんで段々分析が進んで明らかになる「無生殖からの分裂、個体成長で全世界に飛散」という予測。なにそれ怖い。

完全生物として多数の遺伝子を保有していて、特徴的で目を引くデザインの「尻尾」の先をよく見てみると……

 

最終的にゴジラへの対抗作戦を成功させて一先ずの安心で終わるわけですけど、エンドロール後にパンされる尻尾を見て全身の鳥肌が立ちました。

ジョジョ2部の究極生命体カーズみたいな解釈でいいのだろうかあれは。

 

要するにシン・ゴジラは絶望感がすごい。

 

 

 

 

ここまで読むと笑いどころがないように思われるかもしれませんが、安心してください。

ちゃんと笑いそうになるシーンはありました(笑ったとは言っていない)。

 

BGMとか、トンデモ即興兵器(名前テロップ付き)とかマフィア梶田とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

書いてるうちにどんどん雑になってきてるのでいい加減まとめると、

 

シン・ゴジラはいいぞ。

 

パシリムで「ゴジラはデル・トロに任せればいいじゃん」とか思ってたけど

ありがとう庵野。そしてありがとう。

エヴァ待ってるよ。

 

 

 

 

ニチアサとバイトに備えて〆。

 

コンビニバイトの話

おはようございます。

久しぶりに夕方に退勤できて気が向いたのと、

近況報告とちょっとしたニュースに触発されたので文字列を組み上げます。

 

 

そんなこんなで、コンビニバイトを始めて2か月ほどが経ちました。

最初の頃は胃が痛くてしかたなかったのが嘘のように順応しております。

心って割とチョロい。

 

 

そもそもの話、僕のように大学を退学する人間がすぐにバイトに採用されるとは思ってもいなかったので、今の職場は比較的寛容で優しい人たちの良い所なのだと思います。

今も廃棄されるはずの弁当やファストフードをもしゃりながらタイプしてます。

 

オーナーにバレたらクビです。オーナーは鬼です。

 

 

 

さて、冒頭の「触発されたちょっとしたニュース」とは芥川賞のことです。

今回の受賞作は、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』

なんとまあ僕にとってタイムリーな題ではありませんか!

 

あらすじを引用すると、

受賞作の「コンビニ人間」は、幼少期から大人になるまで学校や社会になじめず、18年も同じコンビニでアルバイトを続けている36歳の独身女性が主人公の物語です。マニュアル化されたコンビニの店員であることに自分らしさを見いだした主人公と、結婚や正社員になることを主人公に期待する周囲とのギャップを通して、「普通」を強要する社会の風潮を独特のユーモアを交えて描いています。

 

www3.nhk.or.jp

 

 

うーん、俄然読みたくなります。あらすじだけでシンパシー&エンパシーが溢れます。

 

 

というのも、

“マニュアル化されたコンビニの店員であることに自分らしさを見いだした主人公

 

結婚や正社員になることを主人公に期待する周囲とのギャップを通して、「普通」を強要する社会の風潮”

 

この2点がまるで自分のことのようにどストライクだからです。

 

 

 

「自分らしさ」を見出すまでに、僕はコンビニバイトにどっぷりな訳ではありませんが、

やりがいや自己承認の充足を感じたというのは全くの嘘ではありません。

 

実際にやってみて解ったことですが、マニュアル化された仕事ほど難しいことはないと思います。

というのも、やはり当人の経験でその質や時間効率が桁違いに変わるからです。

 

つまり、誰でも出来る仕事だけれど頑張れば誰よりも上手く・代えの効かないほどに自分の物にできる、ということです。

 

手軽な専門性の獲得という一点では、自分らしさの獲得が容易な方法としてコンビニバイトがあげられるのではないでしょうか。

 

 

僕自身、今の今まで他人の役に立つという実感がまるで無く、社会からの疎外感は日に日に増していくものでした。

まぁ現在進行形の疎外感ですが、コンビニバイトの経験でそういったものは中和されつつあります。

 

 

近年のコンビニ業務の多様化で、作業分担がきっちりしているというのが働いてみて判ったことの一つです。

 

「この時間帯、この作業に取り組むのは自分だけだ」

とか、

「あのお客さんがいらっしゃったぞ。タバコはいつもの銘柄の何mgのソフトパッケージだな手元に用意しておこう」

とか、

こういった割と些細なことに“自分らしさ”を感じるのは私的に無理もないです。

 

働き始めて数か月の自分がこれなので、受賞作の主人公や著者のように何年も働いていると自分らしさはひとしおだろうと推測できます。

 

 

働き方自体の多様性も増した現代で依然として強要されがちな結婚や就職などへの辟易とした感情も、こういった“普通でない自分らしさ”を実感したことのある人なら誰しも共感を覚えるでしょう。

 

 

例え虚構でもちっぽけでも“自分らしさ”を感じるのなら大事にしたいものです。

 

 

そんなこんなで単行本の発売日を心待ちにしたいと思います。

 

 

 

今日もお酒がうまい。

 

 

退学する話

おはようございます。

くっそ久しぶりに更新じゃよ(自省)

 

唐突ながら、大学に退学届の提出をキメてきたのでその話。

 

他にやりたいことができて、とかいうポジティブな理由でもなく

単純に言えば「勉学意欲喪失」ということでした。

 

もちろん大卒という履歴は欲しかったんですが、そこまでの過程が僕自身にとって辛いものだったんです。

これまでの4年間の曖昧な立ち位置から脱却すべき時だというわけです。

ある意味建設的な決断ができたのかなぁと今はスッキリしています。

 

しばらくは今住んでる仙台で普通二輪免許の取得やらアルバイトやらをしながら、少しずつ社会に出ていければと考えています。

そのうち地元に戻って就職とか。不安だらけですがきっとなんとかなるでしょう。

 

取り急ぎ、報告でした。

ニチアサ感想+α(20151122)

 何か書かないとマズイ。そんな気がする日曜夜。

 

ブレイブビーツ 第6話

http://www.bravebeats.net/story/06.html

ワールドトリガー』?知らんなァ…

ダンスで色々解決したり成長したりするヒーロー物、ブレイブビーツ。

前番組のトライブクルクルは個人的にいまいちだったんですが(主に実写パートのせいで)、こっちはテーマがはっきりしてるしキャラも魅力的なのでずっと観れそうです。

 

今回はダンスパワーに引かれて地球に衝突し大惨事を引き起こしそうな謎の物体“地獄の踊り子”とやらをダンスで跳ね返すお話でした。自分でも何を言っているか分からないが実際そういう内容だったから仕方がない。

要するに小学生2人が相棒と一緒に地球を滅亡の危機から救うんですが、何だかこういう展開のゲームシリーズがあったぞ。

そう、『ロックマンエグゼ』ですね。私が小学生の頃はやりこんだものです。

シリーズを通して主人公の熱斗くんとロックマンは小学5年・6年という歳で幾度も地球の危機を救っています。「自分にはとても真似できない」と当時から思っていました。

話を戻すと、今回フラッシュビートに変身する響くんは「彗星が地球に衝突して街(地球)が壊滅する」という事実に怯え、一人廃屋に籠ってしまいます。そりゃそうです。だって彼は元々ダンスが好きではないし、ブレイキンと出会ってフラッシュビートに変身するようになったのも偶然でしたから。その「力」で人知れず彗星にダンスで挑み地球を守る(?)などといった責任も持てないし自信もないしそもそも小学生だし。というか全部ブレイキンがダンスワールドで調子に乗っちゃって地球に跳ばされたせいだし。

それでもまぁなんやかんやあって覚悟を決めた響くんは単身彗星にダンスをぶつけていたウィンクビート(かわいい)のところに駆けつけるわけです。螺旋力よろしくダンスの回転力を高め、地上の人々からも元気玉さながらにパワーをもらい、ついに“地獄の踊り子”を宇宙の彼方へはじき返したのでした。小学生強い。

終始最終回みたいなノリだったんですが未だに6話。これからも楽しく観れそうです。琴音ちゃんとアドリーヌとブレイキンが可愛いので皆も早起きして観ような!(雑)

 

 

ニンニンジャー 第38話

忍びの38「魔女っ子は八雲がお好き?」|手裏剣戦隊ニンニンジャー|テレビ朝日

あれ、もう38話?先輩忍者たちとの客演回でタイムラインが盛り上がったくらいしか記憶にないぞ!?

そんなこんなで先週の次回予告に懐かしのマジイエローの姿が見えてからこの時まで楽しみにしていたわけでした。

今日は青い忍者の加藤クラウド八雲回。イギリスの魔法学校からやってきたエレナちゃんに見栄を張って「魔法戦隊のリーダーをやってる」なんて書いて手紙を送っていたのが騒動の始まりだったわけですが、やっくんそんなキャラだったっけ?ていうか忍者成人式ってなんだよ!

特に目新しい展開もなく無事敵の妖怪を倒して終わり。伊賀崎家に魔法学校の臨時教師としてエレナを迎えにやってきた陣さn…じゃなくて翼兄ちゃんが“勇気”を語りマージマジマジーロしてスカイホーキーに跨ってサヨナラ!スカイホーキーの現物まだ残ってたんかい!

そして忍者成人式の晴れ姿にと超絶変化させられるやっくん。顔出しで。

 

えっまさかの初・顔出し変身がこんな日常の一コマのギャグ要素でいいの!?

もうちょっとほら絶望の淵から這い上がって最終決戦で素面名乗りとかそういうところで使う要素じゃないの?!!?!?

 

 

仮面ライダーゴースト 第7話

http://www.tv-asahi.co.jp/ghost/story/07/

御成の強烈なキャラに圧倒されつつ癒される毎週日曜朝8時。御成大好き。

前回大きな挫折から立ち直り、戦闘にも迷いが少なくなってガッシリとしたバトルスタイルを確立しつつあるように見えるタケル殿。ダイカイガン・オメガドライブの印を結ぶポーズの“静”の感じかっこいいよね……。

2号ポジのスペクターの背景からタケル殿の親父殿が生前行っていたこと(物語の始まりの始まり)にも迫りつつある内容でしたね。というかスペクターことマコト殿がタケル殿たちの幼馴染だったなんて私聞いてない!主人公とライバルが幼馴染同士というのはヒーロー物に限らずバトル物の王道な感じがあります、個人的に。

今回新たに出現した眼魂(アイコン)は“ビリー・ザ・キッド”。

……果たして彼は偉人なのだろうか、っていう疑問はまぁほら、銃使いフォームがないとさ、うん、締まらないじゃん。ね。という近寄りがたい雰囲気を感じざるを得ませんぞタケル殿~~!ガンガンセイバーの重量感とマルチギミックがたまりませんぞ~タケル殿~~!

ビリー・ザ・キッドといえば仮面ライダーBLACK・BLACK RXの南光太郎を演じた倉田てつをさんが経営するステーキハウスの名前もビリー・ザ・キッドでしたよね。ステーキ食いてぇ。ユ"ル"セ"ー"ン"!"!"!"

 

 

Go!プリンセスプリキュア 第41話

http://asahi.co.jp/precure/princess/story/backnum_41.html

ごきげんよう。39話の余韻からまだ抜けきっていません。はるはるの強さが眩しい。レッツゴー、プリンセス。

今回はプリキュアではないゆいちゃんメインの回。ちゃんとゆいちゃんの夢もフォローするお話を作る辺り、さすがと言わざるを得ません。これだから姫プリはやめられねぇ……

ゆいは皆の勧めで絵画コンクールに出品することにしました。彼女の夢である絵本作家への糧となるであろう挑戦です。しかし「優勝できる完璧な絵」を描こうとして筆が進まず、周囲の夢を持ったクラスメイトや夢に溢れた学園の環境についていけていない・取り残されていると感じるようになってしまいます。そんな折、尊敬する作家であり学園長である望月先生が小さな子ども達を集めて青空の下絵を描かせているところに出会います。一人の女の子の描く様子を眺めると活き活きとカラフルな花の画。その女の子との会話でゆいは絵を描く理由、コンクールに臨む気持ちを確かめ、固めたのでした。

結果は佳作でしたが、その絵はプリキュアの夢を守り夢を叶えるために努力する姿を身近で見ている彼女にしか描けない、夢の大切さを絵本で伝えたいという夢のこもった一枚でした。

 

最高かよ……

見ている間はずっとゆいちゃんにシンパシーを感じながら胃がきゅっとなっていました。姫プリはメッセージ性が一貫してしっかりしているので、このまま最終回までいったら個人的に歴代シリーズで一番の評価になりそうです。

 

 

鉄血のオルフェンズ 第8話

女性だらけ……シュラク隊……うっ頭が

戦闘シーンの無い回でもしっかりキャラやストーリーを掘り下げてくれるので毎週飽きずに楽しんで観ています。

テイワズ輸送部門・タービンズを率いる名瀬との対話でメッキがはがれ子どもらしさを見せてくれたオルガが印象的でした。CGSの大人ども(おやっさん以外)がロクデナシばかりだったので名瀬のような人格者が鉄華団と出会ってくれて一安心といったところですね。

三日月とオルガの共依存関係がたまらんすな。

 

 

もはやこれまで

ニンニンジャーの盛り上がらなさは異常。

“きょうだい”と学歴の話 その②

おはようございます。

15日のニチアサキッズタイムを楽しんだのち、急に地上波とネット回線がつながらなくなりこの世の絶望を味わいました(大袈裟)。今日のお昼過ぎに復旧しました。

タケル殿ー!VDSLはやはりゴミでございますぞー!

いやしかし、PCがネットに繋がっていないのが想像以上に落ち着かなくて、控えめに言っても依存症ですね。

 

さて続きを書くと言ったからには実行せねばなりません。前回の記事を受けてのものですのでよろしければ是非。

 

zombie-zoo.hatenablog.com

 

どんな話だったかといえば、最終的に

「きょうだいの性別構成が学歴達成に影響しているのか?」

という疑問が浮かんだところで終わっていたと思います。

 

それではグループの人たちが“別のメカニズム”についてどのような考えを挙げたか紹介しましょう。

 

プレッシャーの問題

これは心理的な視点で、文献内でも「妹が兄の模倣をするのでは」という説が述べられていましたがこれに通じるものかと思います。

「上のきょうだいが○○大学に入ったから私もそのレベルの大学に進学しなければいけないのでは?」

とか、

「上のきょうだいのような学歴はとても達成できそうにない」

というような圧力を自分にかけてしまうことで思うように学歴を達成できなかったりするのではないか、という意見でした。

もちろん逆に触発されてより高い学歴を達成しようとする意欲が生まれる人もいるでしょう。

“きょうだいの存在自体”が学歴達成に必ず何らかの影響を与える、ということを認める意見とも言えます。

 

両親のきょうだい構成の影響

これは個人的に唸る意見でした。この文献の流れに即し、しかもメカニズムとしても的確な指摘でしょう。

要するに

「父親・母親が第何子でどのようなきょうだい構成だったのか」

ということが教育投資に大いに影響を及ぼすのではないかという意見です。

“きょうだい達”に教育を与える家族一人ひとりがどのようなきょうだい構成の一人か、それによってどのような育ち方をしてきたのかが、“きょうだい構成の影響”を複雑にしている、というのですね。

例えば

「父親は長男で弟が一人いたが、両親に家を継ぐよう決められていて、勉強をして学者になりたいと思っていても進学できなかったという過去がある。なので自分の息子(特に長男)にはやりたいことを率先してやらせたいと思っている」

といったように。

“きょうだいの構成”が1つのきょうだいではなく、家族の系譜として綿々と続いてきた多くの“きょうだいの構成”が全体として末端のきょうだいの学歴達成に影響を与えている。

壮大で複雑で、強いメカニズムです。心理的とも言えますし、機械的な視点でもあります。

 

やー、こういう柔軟で道理に適った見方ができるようになりたいものです、本当に。

 

 

“客観的視点”は本当に客観的なのか?

今回読んだ文献では「扶養者による教育投資」という1つの視点だけから見た「きょうだい構成の学歴達成に対する影響」が分析されていました。筆者も述べているのですが、「調査データのさらなる蓄積とそれによるメカニズムの発見が大事だ」ということで〆られています。

しかしそれだけでは足りない、不十分だということはグループワークを通してすでに分かりきっています。

確率標本を調査することによる詳しい統計データの蓄積・分析は法則やメカニズムを見つけるうえで不可欠でしょう。ただ、きょうだいの性別構成があまりにも複雑だということから、単に一つの枠に囚われた分析では絡み合ったものを解きほぐすことは難しいことに既に筆者自身も気づいているのではないでしょうか。

要するに、「客観的な視点」という「主観」に無意識に縛られているということです。

統計データを用いている。枠組みを設けて関係性を俯瞰している。果たしてそれだけで「客観的な視点に基づき分析しているので冷静で正確だ」という証明になるのか?

 

哲学などをかじっていると「エポケー」という言葉に遭遇することがあります。

これはフッサールに代表される現象学に出てくる言葉で、「判断停止」といった意味合いのもの。判断を一時停止して物事を「括弧入れ」することで、現象学的還元というものに繋げるのですが、私自身勉強不足なので詳しい説明はできません。

厳密には客観化とは違うもので、この現象学的還元の時に「括弧入れ」した命題を語る「現象学的言語」によって真に迫ったものの判断をしよう、といった主張です。

現象学的言語は、私たちが普段使う「標準言語」から先入観や偏見・思い込みを排除して命題を純粋に記述しようとするものなのですが、これは確立されていません

 

要するに私は、

≪私たちは何を考え、分析するにも未だに本当の「客観視」はできていない≫

ということを言いたいのです。

 

 

なんだかクソ真面目な話になりつつあるので若干修正。

 

「客観視ができない」とはつまり「主観に沿った判断ができる」ということ。

なら「主観と主観をたくさん寄り添わせて真理に漸近できる」んじゃない?

っていうのをふとこの読書会を通じて感じたわけです。

(言わずもがな、冷静な主観のために個人がしっかり考える力を身に着けることが前提な訳ですが)

 

 

 

みんなも読書会、しよう!解散!

 

“きょうだい”と学歴の話 その①

おはようございます。

めんどくせぇなぁとボヤきつつ我を消してPCに向かっています。

行動が私を裏切らないと信じて!

うぉォン。

 

 

さて記念すべき1回目はちょっぴり学究的なお話。

 

教育学部の一年生向け講義でのグループワークが思いの外盛り上がったので、

その内容をかいつまんでネタとして提供したいと思います。

 

 

因みに私、大学に入学してから三年間不登校でした。

一応現在は四年生ということになってますが中身は一年生未満です。

学部の謎進級システムにコロコロされかけています。

 

まぁその辺りの事情は追々。今年からリハビリで再び通い始めたといったところですね。

 

 

 

きょうだい内での学歴達成

 

グループワークは「読書会」という形式で行われました。

 

担当講師に提示された十数本の文献リストの中から読みたいものを選び、

同じ文献を選択した4,5人程度でグループを作り、

個人で文献を読んで関心を持った箇所などをチェックした上で、

1週間後にグループ内でそれぞれ感想などを発表して内容の議論を交わす。

 

……といった、何とも学徒らしい取り組みです。

カタいものだけでなく、ちょっとした小説や映像作品なんかも取り決めて

友人や親しい知り合い同士で不定期にでもやってみたいですよね。ね。

 

 

私は見出しの通り、

「きょうだい内での学歴達成」(保田時男)

(出典:『現代日本人の家族――NFRJからみたその姿』藤見純子・西野理子編、有斐閣、2009年、第2章2節)

……という文章を選択しました。

 “きょうだい”は京大じゃなくて兄弟とか姉妹とかのことですね。

 

どういった内容か。

 

これは

“きょうだい”の構成が学歴の達成(最後に通った学校の種類)に影響を及ぼしているのではないか

ということを統計データをもとに分析しているもの。

 

 

ぶっちゃけ経済的な問題だったり両親(保護者)の一方的な方針の視点からの記述に終始しているので、

教育心理的なものを期待していた諸氏は先入観とのギャップに面喰ったようです。

(それでも面白いものとして興味深く納得しながら読めたようです。)

 

 

とは言え統計データというものは研究に現状欠かせませんから、入門的な意味でも身近でとっつきやすいテーマの分析でしょう。

実際この文献を選んだのは私も含め二十人以上。全体で最多でした。

 

 

 

“兄をもつ妹”と“姉をもつ妹”

 

この文献で取り上げられている統計データは、

NFRJ(全国家族調査)というものに基づきます。

全国家族調査 (NFRJ) とは | 全国家族調査 (NFRJ)

詳細はリンクで。

 

これを元に、出生コーホートで区切り様々な尺度で分析しています。

コーホートというのは統計上の用語で、ここでは出生年別に人集団のグループ分けをしたものを示しています。

コーホート(コーホート)とは - コトバンク

 

 

また一つ二つ知識を得ました。これだけで勉強したと言っても過言ではありません。

 

 

この文献内で分析対象となっている出生コーホートは4つあります。【NFRJ03】

Ⅳの人だと現在(2015年)で30~40歳代というところでしょうか。

 

コーホート毎のサンプル数はそれぞれ2000人未満ですが統計学的にどうなんでしょう。

統計学勉強しなきゃ…… 

 

 

戦後からのきょうだい数の推移に注目すると、

Ⅱにあたる56年生まれ以降では約半数が2人きょうだい、

約三分の一が3人きょうだい、ということで安定している事実が予測されます。

(Ⅰは一人っ子が5.5%であとはきょうだい持ち)

 

 

きょうだい数が進学率とどう関係しているのかは、Ⅲ、Ⅳ以降でははっきりしなくなっているようです。

Ⅰ、Ⅱではきょうだい数が多くなるにつれ明らかに進学率が右肩下がりになっていることがグラフで見て取れるので、余計に関係性が見つけられません。

(ただしⅠの一人っ子は進学率が2人きょうだいより低く、これには家業を継ぐため学が要らなかったから、など色々な説があるらしい。)

 

 

そこで、きょうだい構成の別の面に着目したわけです。

一般に、きょうだい数のほかに3つの側面があるようです(Steelman et al. 2002)。

  • 出生順序
  • 出生間隔
  • 性別構成

 

……とまぁ、こういった風に客観的に枠組みや尺度を作ってデータを見ていくわけですね。

 

 

詳しく内容を書くと今回の要点を逃がしてしまうので割愛します。

 

 

さて、私たちのグループで気になった部分をピックアップし、論点になったのは

性別構成の影響の項です。

 

 

前提事実として、

男性と女性では大学・短大・専門学校進学率が大きく異なる

というデータが示されています。(女性の進学率は男性よりも低い

 

本人の性別によって進学率が変わってしまう、という事実です。

 

 ただ、この筆者によれば

「きょうだいの性別構成の影響の仕方は、きょうだい数や出生順位とも複雑に絡み合うので、なかなか単純に読み取ることはできない」

らしい。

 

そこで比較的わかりやすい例を示していました。

 

それは、

第二子である女性の進学率を、第一子が男性の場合と女性の場合でグループ分けして集計した結果」のグラフの図。

 

グラフには傾きがありました。

 

つまり、

「同じ“妹”でも“兄をもつ妹”と“姉をもつ妹”では進学率が異なる」

ことを示すものです。

 

この図を全体的に見ると、

兄をもつほうが、姉をもつよりも進学率が高い傾向

が読み取れます。

短大・専門学校進学率をみると、コーホートⅡとⅢではおよそ40%と35%で

5%程度の差があるようです。

コーホートⅡとⅣで大学の進学率を見ても兄をもつほうが5%程度の差をつけて上回っています。

 

もちろん姉をもつほうが進学率が高い時もあるのですが、

差は1%あるかないかなので、どうやら先に示した傾向は間違っていないようです。

ですよね?(不安)

 

 

ところで、ここで疑問が生じます。

 

進学するには先立つもの、教育費の負担がのしかかります。

男の子がいる家庭と女の子がいる家庭では、

進学率の差からすれば当然、一人でも男の子のいる家庭の方が負担が大きくなる可能性は大きいはずですよね。

となると経済的な面から他のきょうだいには進学させないといった選択も起こりうるでしょう。

親が投資をするわけです。

 

それでは、

 ≪なぜ男性のほうが女性よりも進学率が高いにも関わらず、“兄をもつ妹”よりも“姉をもつ妹”のほうが進学率が低い傾向にあるのか≫

 

これですね。

※親が持つ限られた資源をどう“きょうだい”に割り振るか・投資するかといった視点の疑問です

 

すんごいうんざりする話ですが、一つの視点に従った至極論理的な不思議だと思います。

 

文章中では何か別のメカニズムが強く働いているだろうと述べられています。

例えば、

  1. 異性の兄と妹のほうが、親にとってそれぞれに投資する価値が見出しやすい
  2. 妹が兄の進学行動を模倣している
  3. 親が単純に平等に扱おうとして兄と同水準の教育投資をしている

などなど。

 

とにかく性別構成の影響は複雑で、さらに90年代以降は女性の進学率も高まっているものだからさらに複雑になっちゃってるしもっと調査データを蓄積しないといけないよね~~

 

という感じでシメられたわけです。なんだこれは。

 

 

「「「「「結局きょうだい構成の影響があるの!?ないの!?」」」」」

 

というわけでちょっと考えてみよう、と有意義な時間を過ごしたわけです。

 

 

 

今日はここまで

 

分かりやすく伝わるように書けたのかわからないのがつらい。(霊帝顔)

 

 

さて。

皆さんは一人っ子でしょうか。きょうだいをお持ちでしょうか。

 

因みに私は三人きょうだいの一番上で、下に二人妹がいます。

真ん中は美大に、末は工業科の高校に入学しました。

 

気が向いたら、自分やきょうだいについてどう学歴を達成したか、これからどういう学歴を積むのか、学歴に影響を与えたものは何か、考えてみるのもいいかもしれません。

 

 

また近いうちに今回の続きを書くと思いますので、

興味があればよろしくどうぞ。

 

 

疲れた。

 

 

アイサツ!

 (アイゾウサツバツ!)

 

 おはようございます。初めまして。

 私、物事の最初にセットでついてくる自己紹介ってとても苦手です。自信というものを持っていませんので、こう、PRに責任をとれないのですよね。自分というものが分かりません。概して「もう少し大きな声で」なんて注意されます。無難に名前と出身を言ってヨロシクで終わりたいものですが、抱負や何やらが付きまとってきたり。しかしまあ、ここは幸いにもインターネット。匿名が良くも悪くも許されているでしょうから、他人に迷惑でない限り、責任は目につくところに放っておいて思うままに打ちます。

 さて、ここの内容についてお話しましょう。

 

動機

 「自分から外に向かって働きかけねば……」というのがキッカケでしょうか。ちょっと待ってここは太陽の輝く外じゃないわよと思った貴方。interなネッツも僕にとっては外なのです。部屋にこもりがちで消費するばかり。生産的な趣味や特技もありませんし、学生の身ですが交流関係もほぼゼロ。じめじめスポンジ野郎です。このままだと自分から人生ドロップアウトしそうな予感、いや、片足踏み外してる自覚はあるんですが。

 人の話を聞くのは好きだけど自分のことを話すのは苦手という性分で、中にいろいろ溜め込んでしまう人間だと自負しています。ゆえに、吐き出す場所・吐き出したモノを確認できる環境を作りたいのです。とは言え、ヒトの吐しゃ物など本人も見たくありませんので、ある程度綺麗に整えて出力します。ネガティブは簡単に伝染しますから。

 まとめれば、「何かを書くことで考える力を鍛え、自信をつけるため」になります。クサいですね。

 

書くこと

 齢二十を過ぎて気づいた圧倒的人生経験不足に喘いでいます。日々をぽやーっと浪費しているものですから、もっと意識的に周囲を見るようにしたいですね。目的があれば恐らく出来ない事も無いので、まず生活上で経験・感じたことを書くことにします。例えば大学の講義内容を受けての事とか、娯楽作品を体験したこととか。不純な気もしますがネタのために過ごすのも悪い事ではないんじゃないかな。多分。きっと。続くといいですね(他人事)

 正直、これだけの事だとツイッターなんかでも十分なのでは、なんて考えてしまうのですが、「140字以内」の「リアルタイム」な「呟き」という性質上どうしても思考より感情が先走ってしまうきらいが個人的にありまして。冷静に自分の力で考えて文章を推敲して人前に出す、ということをするためにブログを活用しようと考えています。あとで見返したりも容易にできますからね。

 要するに、たくさん経験して、しっかり自分のものにする訓練をするために“書くこと”をしていきます。

 

とりあえず

 最初はこれぐらいにしておきます(結構疲れた)。でも書いてるとちょっと心が軽くなる感じがしますね。恐らくこんなものを読んでくれる方は少ないでしょうが、私としては「誰でも読める環境に自分が文章を書いている」という点が重要なので不定期でも続けていきます。いやまぁモチベーション維持には閲覧数が多ければ多いに越したことはないのですが高望みでしょう。

 それでは。